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ISEP所長メッセージ「歴史の起点として福島を捉え直す」

3.11東日本大震災・福島第一原発事故から9周年、そして10年目にあたって

「3.11」から丸9年、そして10年目に突入する本日、東日本大震災および福島第一原発事故の犠牲になり失われた人々とその遺族の方々に対して、まずはあらためて深く哀悼の意を表します。

今、日本を含む世界の多くの国々は、新型コロナウィルスの急速な感染拡大、いわゆる「パンデミック」で大変な事態となっています。この事態を巡って日本で起きているさまざまな出来事は、まったく異なる事象でありながら、国による国家的な危機管理という意味で、福島第1原発事故後のさまざまな出来事が思い出さずにはおられず、重なり合う要素も少なくありません。

表面的に見ても、マスクと防護服姿という相似性はさておき、トイレットペーパーやマスクの不足は3.11後に水やガソリンが店頭から消えたことを想起させ、社会全体の自粛・緊縮モードで街中がひっそりと感じられるのも3.11後の節電と輪番停電で暗くなった街を思い出させます。組織的にも個人的にも講演会や集会がことごとく中止・延期となり予定がまったく変わってしまい、「社会的な非常時」を痛感することも同じです。

より重要なことは、この国の根底にあるものの共通性です。その第1はこうした危機に際して国(政府や官僚組織)が機能不全を起こしてしまうこと、第2は国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと、第3は「専門家」が必ずしも信頼できないことです。たとえば今回も、医療の基本である早期発見・早期対応のために不可欠なPCR検査が中国、韓国や台湾などに比べて桁違いに少ないという事態が放置され、それが逆に国が警戒しているはずの感染拡大や医療崩壊のリスクを増しています。福島第1原発事故が日本だけであったのに対し、今回は中国、韓国や台湾など近隣諸国を含む世界で同時に起きているがゆえに、日本の突出した対応のマズさが可視化されます。それでもなお3.11当時は、当時の菅直人首相率いる官邸は、機能不全の官僚や東電、「専門家」に囲まれながら一所懸命に対応したが、今回は官邸主導による後手後手かつ「やってる感」だけを前面に出した対応が事態をいっそう悪化させているように思われます。

福島第1原発事故後にせっかく画期的な「原発事故子ども・被災者支援法」が成立したにも関わらず、現政権が成立して以後、誠実な施行がされないままに放置され、非常時並みに放射線レベルの高い地域への帰還が強制される一方、避難者の住宅等の支援は次々に打ち切られている。そうした現実と、唐突で効果の疑わしい全国一斉休校やイベント等の自粛に対する支援策が乏しい今回の対応や感染の不安を抱えたまま「検査難民」が生じていることは、「国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと」で通底しています。「ニコニコ笑っていれば100mSvでも大丈夫」と「ミニ武漢」となったクルーズ船への対応を見ても、日本の「専門家」の危うさが共通しています。

エネルギーに話を戻すと、福島第1原発事故は世界史に残る大事故であることは疑う余地もありません。その事故に学んだのは、当事国の日本ではなくドイツを筆頭とする海外の国々で、しかもおりから加速した太陽光発電と風力発電の加速度的な拡大によって、わずかこの10年ほどで今や自然エネルギー100%の未来さえリアルに予見できるようになりました。ところが原発事故の当事国である日本では、今の政権は自然エネルギーの拡大には消極的で、原発と石炭火力を軸とする「旧いエネルギーコンセプト」に執着したまま、世界に背を向けています。

福島第1原発事故は、歴史的な偶然もあって、世界史的なエネルギー転換という「歴史の起点」に位置づけられました。同時に、機能不全を起こしている日本の統治機構や民主主義のあり方を再構築すべき、日本史的な「歴史の起点」にも位置づける必要があると考えます。

2020年3月11日
認定NPO法人環境エネルギー政策研究所(ISEP)
所長 飯田哲也