ISEP所長メッセージ「これまでの10年、この1年、これからの100年へ」
2021年3月11日
飯田哲也 環境エネルギー政策研究所 所長
10年前の2011年3月11日、私はドイツ・ポツダムに居た。前日に成田空港から直行便でドイツに到着し、その翌朝に家人からの知らせで、日本での大地震と大津波の発生を知った。ポツダムには、前々年に発足したばかりの国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の戦略会議を、クラウス・テプファー元ドイツ環境大臣が主催し、アドナン・アミンIRENA暫定事務局長(後に正式に就任)など10名ばかりに混じって、私も呼ばれていた。
日本で発生した大地震の影響、とくに原発への影響が気になってしかたがない私は、その戦略会議に出席しながら、ひたすらインターネットで情報を探索した。そして発災当日の22時35分(日本時間)に官邸のホームページで公表された情報(下記)に、目を疑った。福島第一原発2号機で、すでにメルトダウン(炉心損傷)が始まっている、と伝えていた(これは後に、翌日に水素爆発した1号機の誤記だったと伝えられている)。これを見た私は、大混乱の渦中の日本に急きょ帰国し、成田空港に着いた直後に3号機が水素爆発した。
その東日本大震災と福島第一原発事故の危機と大混乱から、大波乱の10年。この3・11直後から、これが日本近代史の重要な転換点になると直感した。確かに前向きに変わった部分もあるが、他方で、直後に復古的で反知性的な政治が登場し、「ショック・ドクトリン」とも呼ぶべき反動と揺り戻しが起きて、後退した部分が大きい。加速するエネルギー転換は経済性や技術進展が見えやすく、日本でも新しい考えの人たちが増えてきたが、なお道は険しい。より複雑で見えにくい放射能汚染や被ばくに関する日本の政治行政の劣化に至っては、知識社会としての底が抜けてしまった感がある。3・11福島第一原発事故に大きく影響を受けたドイツなどがリードして、その後のグローバルな自然エネルギー大転換が加速するなか、右往左往した日本は、機能不全をさらけ出した10年だったのではないか。
昨年初頭からグローバルなパンデミックとなった新型コロナウイルス(COVID-19、以下「コロナ禍」)は、世界各国と対比して、日本の政治・行政やメディア・アカデミアによる対応や応答も、機能不全が突出している。欧米などに比べて感染者数や死者数が少なく見えるが、これは東アジアに見られる「ファクターX」(山中伸弥教授)による幸運にすぎず、東アジアでは日本は最悪のコロナ死者数である。全世界が注目するなか横浜に接岸した豪華客船を新型コロナ感染の「培養船」とした大失敗や、「アベノマスク」という思いつきの愚策、1年経っても全世界で150位前後という圧倒的なPCR検査の少なさなど、およそ先進国や知識社会とは思えない対応が、今なお続いている。この日本のコロナ禍に対する機能不全は、福島第一原発事故後のそれと地続きである。
これらは、個を圧し忖度する日本の組織文化にも根ざした根深い問題であるほか、政治と行政の形がい化や強固な縦割り、無謬神話や官尊民卑の役所文化、無責任の体系などの慣習が長い年月で分厚く形成され、そこに近年の強引な政治主導や人事権行使などで歪められ、もはや「公共性」を見失い複雑骨折している。マスメディアは自ら隷属し、権力の中枢に近く政治化したアカデミアは積極的に迎合し、いずれも知識人としての独立性や役割を放棄している。
総じて言えば、日本の知識社会を構成する政治・行政・アカデミア・メディアなどの総体が、グローバルなそれと、かなりズレた位置にあるように思われる。これから100年先の持続可能な日本を構想するなら、これまでの10年、そしてこの1年で明らかになった「日本の機能不全」の根っこを見据えて、そこから立て直しアップデートする必要がある。容易ではないが、突き詰めると、一人ひとりが自立し、発言し、行動する勇気に還元されるのではないだろうか。